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みなさんこんにちは、そしてお久しぶりです(*^^)v

今日も絶好調の小林です!

さて、小林漆器では研ぎ出し体験を始めました。

その前に少し津軽塗の歴史等についてふれてみたいと思います。

 

津軽塗の歴史は古く、江戸時代中期(1646~1710年)とされています。

この時期に日本全国で工芸品が多く誕生、普及したと言われています。

信政公が諸国から招いた職人の中に、若狭国(現在の福井県)の塗師、池田源兵衛という人物がいた。

源兵衛は貞享2年(1685年)、藩命により江戸へ上り、塗師の青海太郎左衛門に入門した。

源兵衛は翌年、江戸で客死したが、父の遺志を継いだ源太郎は、蒔絵師山野井の門で修業をする。

その後元禄10年(1697年)、亡父と同じように青海太郎左衛門に入門し修業を積んだ。

やがて源太郎は青海一門の一子相伝の秘事「青海波塗」(せいかいはぬり)を伝授される。

太郎左衛門の死後、帰藩した源太郎は享保12年(1727年)、師の姓と父の名を継いで、青海源兵衛と名乗った。

この間もこれ以後も、青海源兵衛は今まで学んだ技術に独自の創意を加え、

津軽の地で新たな漆器を生み出していくこととなる。

この時期に各地で発達した漆器全般に言えることだが、弘前藩で発達した漆器も、

当初は武家が腰に差す刀の鞘を美麗に彩るために用いられた。 刀が武器としてではなく、

装身具として見られるようになった、太平の世ならではのことである。 やがて刀の鞘のみならず、

様々な調度品が津軽塗で彩られるようになった。 ある商人が書いた「津軽見聞記」という文献によると、

宝暦8年(1758年)には「弘前一流の塗物あり、から塗という。 文庫、硯箱、重箱、提重、刀、

脇差の鞘など塗たるところ~(中略)~格別美事なり。 大阪にて此の塗物贋せさするに中々似るべくもなし」

という記述が見られるほどの名声を博していた。 この文献から、「唐塗」の技法が既にこのころ成立していた事もよくわかる。

弘前藩も、こうした塗物を幕府や他藩、 朝廷や公家への贈答品として用いることで、

その価値をより高いものにしようと努めていたことが窺える。 ところが江戸時代も末期となると、

騒然とした世情に巻き込まれ、弘前の漆器産業に衰微の影が忍び寄ることとなった。

明治4年(1871年)の廃藩置県後は、津軽塗への藩による保護政策も失われ、

漆樹も乱伐され、 さらに経済体制が変化したことで、衰微と混乱に拍車がかかることとなった。

しかし藩に代わって県が助成を始めたこと、士族や商人による漆器の製造所や組合組織が結成されたことで 、

津軽の漆器産業は息を吹き返すこととなる。

明治6年(1873年)に開催された、ウィーン万国博覧会には、青森県が「津軽塗」の名前で漆器を出展し、

賞を受けている。 「津軽塗」という名前が一般的となるのは、ここからである。

その後、大正時代まで津軽塗産業は大衆化を推し進め、 生産量/販売額を増大することに成功する。

津軽塗の技法、「研ぎ出し変り塗」は数十回漆を塗り重ね、平滑に研ぎ出す事で模様を出します。

実用性があり、堅牢優美である事が特徴的です。

下地から艶出しまでの工程は約48工程となっており、完成まで約2~3か月かかります。

漆は基本的には1日に1回しか塗れません。(完全に乾くのに1日かかります)

漆をこれだけ塗り重ねているのでもちろん丈夫です。

箸で約15年(お客様アンケート結果)使える事が実証されています。

また、欠けた箇所、剥がれた箇所等の修理も可能です。

修理をすれば、新品のように息を吹き返し、また長く使えます。

「代々続くもの」として考えてもいいかもしれません。

ですので、少しぐらい高くても納得して頂けますよね?笑

 

少し長くなりましたが詳細を下記に記載しますね♪

 

箸 1,800円

スプーン 1,800円

印鑑 2,500円(彫り、ケース付)、(要相談)

 

※ご予約はお電話で。お申込みは4名様以上でお願いいたします。

上記の体験費用のほかに、別途メール便324円を頂戴いたします。

 

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研ぎ出して頂いたお品物は、約2~3週間で、綺麗に艶をつけて、お客様のお手元にお届けします♪

興味がございましたら是非1度お試しくださいませ(*^。^*)